昭和四十五年四月十七日
X道教の心得 「信心する人の眞の信心なきこと」
信心をする人はたくさんおりますけれども、眞の信心をする人がいたって少ない。眞の信心になって参りませんと、おかげが、眞のこと、本当のことになっていない。これはまあ言う迄もない事ですよね。信心する人の眞の信心なきこと、と。
眞の信心を初めからと云う訳には、参りませんけれど、段々、信心が云わば好きになると申しましょうか。段々、信心の道理が分からせてもらう? その信心が眞の信心になっていかなければなりません。
たくさんの人が信心は到しますけれども眞の信心をする人がごく少ない。ここでは、眞の信心だとゆうのをいろいろにも説いておりますが、とりわけ、成り行きを大事にするとゆう事は、これは絶対眞の信心だと申しておりますよねぇ。神さまが私共に求め給う、例えば様々な成り行きが有りますが、その成り行きをよしにつけ、悪しにつけ、それを受けて、受けぬいてゆくとゆう事、確かにこれは眞の信心に違いないこと、私も信じます。
けれども今日はね、そうゆう意味ではない。ひとつの眞の信心ですかねぇ、とゆう意味に於いての眞の信心を聞いてもらいたいと思います。
眞の信心をさせて頂くとゆう事は、どうゆうやうな事になってくるだろうか。御理解の七十九節に、商売をするなら買場、売場と云うて、とゆうところが有りますよねぇ、私はここのところを商売するならではなくて、信心をするなら、買場、売場と云うてと、いわゆる信心と仕込む所、又はその信心を表す所、まあここのところを読んでみますと、
「商売をするなら、買場、売場と云うて、元を仕込む所と、売先を大事にせよ。人が口銭を拾銭かけるものなら八銭かけよ」と有ります。
ですから、私はここのところを、
信心をするなら、買場、売場、いわゆる元を仕込む所、信心の元を仕込む所を私はここだと思います。又は、ご本部だと思います。信心をするなら、元を仕込む所を大事にする、同時に又売り場をも大事にする。売り場とゆうのが教主さまがいつもおっしゃっておられますやうにですよねぇ。各々の生活の現場に於いてと云うておられますねぇ。まぁ云うなら、家庭の現場、又は生活の現場に於いてです。そこんところを私は大事にする事が、売り場と大事にする事だと思う。
人が口銭を拾銭かけるものなら八銭かける。
ここのところに私は、人が云うなら、1回お参りするなら、2回お参りする、とゆうやうな私は努力だと思いますよねぇ。人が七時間寝るなら、自分は五時間休んでといったやうな事だと思いますねぇ。
私は眞の信心とゆうのはね、そうゆうやうな、私は生き方にならせられる事が、眞の信心だと思います。
どうでしょうか、信心をするなら売り場、買い場、いわゆる元の仕込む所、又はそれを売りさばく所、ここで教えを頂く、これは信心を仕込んでいきよる訳でしょう。仕込んだものを今度は家に帰って、それを実行しなければならん。売り場、買い場と云うてと云う所を、いわゆる仕入れる所、同時にお互いの生活の現場に於いてです。私は眞を表していくとゆう事は、その仕入れてきた事、その教えを地でいくと云うか、しかもそれがです。人が拾銭かけるものなら八銭、とゆう位の精進努力とゆうものが、なされるとゆう事かね、私は眞の信心だと思う。
それに私がここで申します成り行きを大切にしていく、成り行きを尊ぶとゆう事は、その基本になるものであります。眞の信心‥‥‥。
信心する人の眞の信心なき事と、いったやうな信心の生き方にならせなければならんのです。
そこで私は今日はその事のね、地でいった人の話しを聞かせて頂きました。山口県に旧布施とゆう所が有りますよねぇ。踊る神さまで大変有名になった所です。あそこには天光教とゆう教会も昔から有ります。それに最近でじゃ金光教の田布施教会とゆう所が大変な御比礼を頂いておられるとゆう事。
昨日、山口の小笠原先生が久し振りで出てみえられました。それで、ここで御理解を頂かれて、もう、こう云われるですねぇ。ここの御理解はもう難しゅうして私共には分かりませんと云われます。それで、それを私が又、かんで含めるやうに理解ずけますけれども、分からんと、もう正直なところ分かりません、とこう云われる。
もうどんなに素晴らしいものであってもね、それが分からんやうな事では、これはいけないなぁ、つまらないなぁと、私は昨日思いました。
只、その先生が合楽の魅力とゆうのは、修行生の方達がもう非常にここの教会に、云うなら、ほれ込んで修行しておられるとゆう事。それから、御信者さん方の中のほとんどが家族勢を揃えて信心しておられるとゆう事が、どうしてじゃろうかと、それが不思議でたまらんて。
だから、それはこうゆうところに、訳があるからなんですよ、と云うても分かりなさらん感じですよねぇ。いわゆる、私が云う眞の信心と云うのは、そんなに難しいのです。
和賀心時代に突入したとか、和賀心学を修めにゃんと云ったって、どうしても分かって頂けない、とに角、合楽の信心ちや難しいなあ、とゆう訳です。
けれどもねぇ、やはりそれに本気で取り組まなければね難しい、又取り組まなければ、それに取り組む意欲がなくなる体験が生まれてこない。
まあ、そうゆうやうな事で今度は私がお話と聞く段になりました。先生ああたもひとつ折角みえたんですから、何か話をして下さい、と云うてお話をされるされるのが、田布施の教会の先生のお話しでした。
田布施とゆう所は大変な御比礼を頂いておられますけれど、第一修行生の方がないそうですね。そして、一家をあげてとゆう事がない。しかし、それでも大変な御比礼だそうですね。
田布施の教会の先代とゆうのは、亡くなったおじいさん、子供さんがなかったから、養子、養女をなさった。ところが、段々御比礼が落ちてしまって、人があんまり助からんやうになったら、あそこへ踊る神さまの方へ夫婦連れ、くら替えしなさった。それでも教会は誰あれもおらんやうになった。だから、総代さん方がまわり持ちです。その教会の家も地所も売ってしまいなさった。だから、総代さんのおうちです。ずうっとまわりごしにまわって月次祭を仕えられたといったやうな時に今の田布施の先生が引き揚げて帰って来られた。
ところがその先生の御自宅に人がどんどん集まって来るやうになった。どうゆう風にして集まって来たかと云うと非常に熱心な御信心をなさったそうですが。大阪に勤められたそうです。まあだ玉水の湯川先生が御健在の時代だったらしい。そしてある大きな会社に入って、課長まで仕上げられた。
支那から油かすをひく会社だったらしいですね。それで仕入れの方の係をなさって仕入れを責任持ってなさった。そして船が着くたんびに、おうかがいをすると、湯川先生が全部買っておけ、買っておけと、買ったら買ったたんびに安うなるそうです。とうとう何回もそれを繰り返される内にです。油かすを置く倉庫が無くなったから野積みにされたと、最後には‥‥‥。それでも、まあだ買っとけ、買っとけと、買えば必ず安くなる。
もう神さまのおっしゃる事じゃから信用してどんどん買っといたけれども、もうこれ以上したら会社が倒産するより他ないとゆうところ迄いかれたそうです。
ところがですね、そうしている内に同業者の方達の倉庫の中が今度は空っぽになってしまった。それから同業者がわけてくれと云うやうになった。それこそ、それが何倍かに跳ね上がったと、たくさんな金を借られたそうです。。それで、そこの社長さんが、自分の賞与から、と云うて、その方にお金を渡された。そして、その中からどれだけかのお供えをして残る金をどうさせて頂こうかと云うたら、山口の在所の方に、屋敷を買って家と建てとけとおっしゃった。その家が現在、教会になっておる、その当時大変立派な家が出来たそうです。 その方の御信心ぶりがどうゆう御信心ぶりでったかと云うとですね、大阪の郊外、電車に乗って一時間かかるそうです。それを朝参ってみえる。そして、帰ってから勤めに出られる。勤めに出られると、勤めから昼の御祈念に教会に参られる。勤めを終わって夜の九時の御祈念を頂いて最後の教会のお掃除をして帰られるのは、もういつも十二時頃、三回ずっと参られた。
それから、御本部参拝は、玉水は毎月月参りが有りますから、毎月月参りを一緒になさった。そして必ず新しい人を一名ずつお導きして行かれたそれは旅費から弁当代まで出してですね。とに角、お参りしてごらんなさい、と云うて、連れて参られた。それが毎月かわる、それだけでも何年かの間に何十名になったそうです。そして、山口の云わば親教会には大阪におって総代としての御用をさせてもらうと同時に、毎月月参りをなさった。それがね、もうそのせずにはおられんとゆう信心であられたそうです。
私はね、眞の信心とは、そんな事だと思うですよ。電車で一時間もかかる所を朝参りをさせて、そしてその勤めの中から昼には昼の御祈念にお参りさせて頂いて、夜には九時の御祈念を頂いてからしか帰られん。しかも最後のお掃除を必ずなさって、それから帰られる。帰られるのはもう、いつも十二時。
そして、御本部の月参りは欠かした事がないだけではない。必ず一名は、自分が旅費、弁当代を出して、それはもうそれこそ行のやうな事だったらしい。しかも、そうしなければおられないとゆう事をそうゆう風な意味で頂いて、頂いた。
おかげ頂かならんけん参りよると、といったやうなもんじゃなくて、もうそうしなければおられないとゆうところにです。私は眞を感じます。
そしてお話を聞かせて頂きますとです。やっぱり、大阪辺りの信心を頂いておられますから、やはり願って、願ってとゆう信心らしい。ここでは願わんでも頂くおかげの受け物を作れとゆう事ですけれども、大阪辺りでは、やっぱり、願って、願ってとゆう事。
けれどもですね。その願うとゆう事がですね、只願うとゆう事じゃない。それだけの信心が出来て、願っておられるとゆう事。信心は出来るだけ少しばっかりしといてから願うとゆう事じゃない。
しかも、段々信心が分かって参りましてですたい。二、三日前の御理解ではないですけれども、乳のみ児が親のひざにすがっていくやうに、もうそれはすがらんならんからといったやうなものではなくて、もう単純なもの、純粋な子が親をしとうていくやうな思いで。すがっていくとゆうすがり方、云うなら、天地の親神さまと、私共の関係がよう分からして頂いてのすがり方。いよいよ、自分とゆう者が本当に分かれば分かる程です。云うなら、すがらなければおられんのが私達なのだ。そうゆう意味に於いてのすがり、そうゆう意味に於いての眞の願い、至純である。
願いもですねぇ、そうゆう純なものになってくる時に、私はおかげ頂くと思うですねぇ。願わずにはおられない、しかも、このやうな事までも願いに願いきっておるのですから、こうさせてもらわなければ相清まん。そうしなければおられないとゆうのがです。只今申しますやうな信心になってきておる。
日に三回、それは側におるなら、どうかしらんけれども電車で一時間もかかる所、しかも夜の御祈念を頂いたら、後お掃除の御用頂いて、仲々仕込むところを大事にしておられる事がやう分かりますよねぇ。
信心するならまず売り場、買い場とゆう、いわゆる買い場の所を仕入れる場とゆう所を大事にしておられる。生活の現場に於いてもです。たとえよし、どんなに自分の顔がつぶれるやうになっても、親先生のおっしゃる事を頂きぬいておられる。例えば、仕入れの事なんかでも‥‥‥。仕入れが安うなる、安うなるそんなら、今度だん止めてとこう。今度はおうかがいするまいとゆうのではなくて、おうかがいしぬいておられる。それは、いつも船が着いたら買っとけ、買っとけであった。とうとう、倉庫の中にはもう入りきらずに、野積みしなければならないやうになった。もうこれで倒産とゆうところで、もう全部その品物がそこに集まったそうです。買うばあっかりですから。だから、同業者が分けてくれと云うやうになったところからです。それが何倍にも値上げしましてから、当時、もう大変な金額だったらしいですねぇ。
とゆうやうなおかげを受けるものです。いわゆる生活の現場に於いてですね、その親先生の教えられる事、神さまの教えて下さる事に忠実であられたとゆう事、仕込む場、それは日に三回もお参りさせて頂いて、只お参りしてくるだけじゃない願って来るだけじゃない。毎日、毎日九時の御祈念が終わったらそのお広前のお掃除を終わらなければ帰らんとゆう程しに、仕込む場とゆうものを大事にされた。毎月の御本部への月参りには必ず一人ずつお導きして行かれた。新しい方を。
しかもそれはです。汽車賃から、弁当代まで出してから、であった。何年かの間に何十人かの人がそれによって導かれた。しかも、それはもう絶対そうしなければおられんとゆう、在り方であった。親教会には毎月月参りをされた。 そうしておられるうちにです。例えば戦争が始まり、自分も兵隊にとられて外地に行かれた。今、お歳が七十余りらしいですねぇ。
それがやはり御理解とゆうやうなものは、あんまりないらしい。けれども願って、願ってその願う事がおかげになるとゆう訳です。
その願いとゆうのがです。単純なものであるとゆう事。参って来る信者の願いは、それは我情我欲の願いかもしれませんけれども、それを取り次がれる先生の所でです。整理されておる。その願いが‥‥‥。しかもそれがね、もう単純なものである。そこに神さまに通う。私はそのお話を頂きよってですよねぇ、大阪の願いの信心とゆうのは、素晴らしいなあと思うたです。それは泉尾にいたところで願いに願ってとおっしゃる。それはどうもおかしいと思うておったけれどもです。やはり、もう泉尾の先生当たりになると、その願いとゆうものが非常に高度な願いになっておるのですねぇ、至純なものなんです。
日水だって同じ事、もう大阪関係のは願って、願ってだから先生の所で、至純なものになっておりますから。おかげを受けておる。だから、信者は、まあ大阪辺りでは消えたり、ついたりする信者が多いと言われております。おかげ頂きや参る。おかげ頂かにや参らんと、非常に現金なんですねぇ。
けれども、もうそれがお取り次ぎの場に持ち込まれて、お取り次ぎをなさる先生の願いになってくる時です。その願いは非常に、いわゆる願わなければおられん。すがらなければおられん。それは、自分とゆう者の無力さ加減とゆうものが分かるだけではなく、神さまと私共の間柄とゆうのが分かっての、云わば、お願いになっておられるところにです。至純な願いの尊いものである事が、私はその話聞きよって感じさせて頂いたのです。
ですから、今日、田布施と先生のお話をさせて頂きましたが、それの小さい小型のやうな信心は、ここの方達は、皆んなそうゆうものを持っておられるやうですねぇ。
例えば、教会を大事にするとゆう事に於いても、又はお参りに於いても、ですから、それがですね眞の信心とゆうやうなところ迄ですね。高められていないとゆう感じスケールが小さいとゆう感じ。
御本部の参拝でも、親先生がお参りになるなら、まぁ参るとゆう程度のものではないとゆう事。その参らなければおられない、その心が眞だと思う。あふれておるでしょうが。御本部参拝をする時には一人ずつ旅費から出して弁当から出して、お導きして参らなければおられないとゆう人。それが眞、至純なんだ。眞があふれておる。自分だけがやっとかっと、と云うのですから、やはり、眞が欠げるでしょう。眞とゆうのはあふれるもの。
それからもうひとつ田布施でおかげを受けられる訳が、そこの先生が云われるのに、信心にはいつも勢いをつけなければならないと云われる。それで毎年八百万から一千万かけて、会館とか駐車場とかゆうのが出来ていくそうです。お広前が毎年立派になっていく。
今度は一町からの田を買われましてね。同時に今度は一千万からかけて、駐車場が出来とる。それが毎年有る。だからその為にはね信者がはずれていくやうな場合が有るそうです。
もう総代さん方は、そうゆう事が始まると、平弁当でですね。それの終わる迄かかるそうです。けれども、やっぱりおかげを受けておる。そん位のこつじゃないおかげを受けておる。けれども中にはですねぇ。とても、田布施にはついて行ききらせんと云うて止める人もやっぱり有るけれども多くなっていく人が多いとゆう、だから、いつ元気が出て張り切っているて、それが信心進めていくコツだとも、教えられるそうですねぇ。これは毎年だそうです。
眞の信心を進めていくにも、やはりその覇気と云うかね、やっぱり勢いが必要なんです。同時にその眞の信心の内容がです。やむにやまれん、そうせずにはおられないとゆうところに触れるやうなもの、それが眞である。そうゆう信心を私は眞の信心だとゆう風に聞いて頂いた。
そして商売をするなら売り場、買い場とゆうあの御理解をです。信心をするならば、売り場、買い場いわゆる信心を仕込ませて頂く所を大事にしなけりゃならん。皆さんで云うなら教会を大事にしなければならない。そしてそこで仕込んだものを売りさばくとゆう事が、その頂いた教えを持って帰って各々の生活の現場に於いてです。それを忠実に、しかも拾銭かけるものなら八銭かけるとゆう精進をしながらです。それを行の上に表していくとゆう事、そうゆう信心をもって私は、今日皆さんに眞の信心とゆう風に聞いて頂きました。その眞の信心を地でいかれたとゆうやうなお話をです。旧布施の先生のお話の中から、昨日感じとらせて頂いた。
四月一日があちらの御大祭だそうです。とに角まあ、隣接の教会であんなさるそうですが、そこにそうゆう教会の御比礼が輝きますからねぇ。やっぱ刺激されて他の教会迄おかげ頂いとる。
もう今度の御大祭なんかお米が三十俵、お酒が二樽参拝が一千名、とゆうやうに大変な御比礼だったと云うて、御大祭の模様を話しておられました。先生ご自身の信心がそのやうにね、止むに止まれんとゆう、溢れるやうな信心ですから、やはり、そこでおかげを受けられる御信者さん方も、やっぱそうゆうひとつの線に添うて先生の信心を神習うておられる訳でしょう。そこにはそこの、ひとつの流儀、行き方が有ります。けれども、そうゆう意味に於いて私はですね、本当によいものはやはり頂かなければならない。しかも、今日私がここで、頂きまする事はです、信心する人の眞の信心なきこと、只成り行きを大事にしていきよりや、いい成り行きを大事にする事が眞の信心だと、ゆうだけではなくてです。このやうな活気のある、止むに止まれん程しの信心が身についてきたら、いよいよ鬼に金棒。そして私の過去の信心を思うてみます時にです。私共の信心もやっぱり、そうゆうやうなものを持っておった。田布施の先生がお話しをなさる時必ず云われる事はです。「まかん種は生えん」と云われるそうです。
自分自身がやはり信者時代にまいておった。それが今日のこうゆうおかげになっているんだ。まかん種は、生えんと云われるとゆう事でございます。確かにそうです。しかもそれがです。止むにやまれんとゆう素晴らしい種がまいてある訳です。
教会参拝でも電車で一時間かかるとゆう所を三回も参られる。しかも生活の現場に於いてはです。もう親先生のおっしゃる事が、例えそれで倒産してしまっても、破産によっても自分の顔がどんなにつぶれても、それを行じさっていっておられるとゆう事。そうゆう信心を私共も神習わして頂かにゃいけん。そこから合楽信心が又、眞の信心の云わばスケールが大きくなる、とゆう感じがします。そして、又迫力が出てくると思います。
眞の信心とゆう事を、今日私が云う眞の信心を地で行かれた程しの田布施の先生のお話を聞いて頂きました。
各々自分の周囲のおかげを受けておられる御信者さんでも、先生方でも、様子を見ておりますと、やっぱりそうゆう溢れるやうなもの。
例えば甘木の平田さん辺りの御信心なんかも、やっぱ、そのやうな感じですよねぇ、いわゆる事神さまごと、とゆう事になったら神さまが第1、神公私とゆう事を云うておられましょう。神さま事、次に公の事、自分の事、これは一番最後にとっておられる。
ところが、私事を第1番にとっていくといったやうな信心からは、眞の信心とゆうのはね、私事はもう1番最後とゆうやうな行き方こそがです。私は眞の信心に入っていく云わば入り口だとゆう風に思うのです。どうぞ。